その日は本気で登校拒否を考えた。
頭も体も重い。ああ、これが病だったなら良かったのに…。
「義文ー、いつまで寝てるのー?遅刻するわよ~」
どたどたと階段を上がり、母美佐子はノックもせず義文の部屋へ入り、義文の潜る布団を
引き剥がした。
「頭痛い。行きたくない」
義文はだんご虫のようにうずくまる。
「滅多に風邪ひかない健康なあんたが病気なわけ無いでしょう」
普段はやさしいおっとりとした母であるが、気遣って欲しい時にしれっと放つ。
「ほら、ご飯出来てるから顔洗って降りてきなさい」
有無を言わさず美佐子は義文を起こす。そんな母に舌打ちする。
「息子がいじめられてたりしたらそんな事言うのかよ…」
「何、いじめられてるの?誰に?」
不審げに見る時に失礼な母。
「いじめって言うか…」
むしろその逆で。いや、義文にとってはいじめ以外の何者でもない。ごにょごにょと言葉を濁す。
さぼりは許さないという時に厳しい母。
義文の申し出は却下されてしまった。
仕方なく義文は学校へ行く事にした。
姉美幸は講義が午後かららしくまだ眠っている。姉の部屋のドアを通りすぎると、気楽なものだ、
と毒付いてみる。
階段を降りて顔を洗い、ダイニングへ行き美佐子の作った軽い朝食を食べる。が、食欲が無い。
昨日の事を思い出すと食べる気がしないのだ。
半分残して義文は歯を磨いて学校へ行く用意を始める。
ご飯など一度も残した事のない、好き嫌いのない義文を、もしかしたら本当にいじめられて
いるのかと母美佐子は心配そうに見つめる。遅くに家を出て駅へ行き、電車に乗って学校への
最寄り駅に着いた。
遅刻ぎりぎりだったので普段は乗らないバスに乗る。
ぎりぎりの時間にバスに乗っている乗客は数人で、すべて星陵学園の高校生だった。
皆いかにも学園のはみ出し者といった感じの風貌をしている。
あまり感じが良ろしくない。次からはやはり歩いて行こうと思う義文だった。
校門の前にバス停があり、バスはそこで停車した。
校門には生徒指導の先生が厳しい表情で立っていたので、急いでバスを降りて校門の中に入る。
吹き抜けになってさんさんと朝の光が入り込んだ明るいエントランスを抜けて、一階にある
一年G組の義文のクラスに行く。
教室に入ると担任がまだ来ていないのかざわめいていて、相変わらずのいつもの風景だった。
しかし義文には違って見える。一成だけは。
教室の一番後ろの窓側に座る一成が視界に入ってしまい、一瞬入るのをためらってしまう。
「お~、義文おせーじゃん」
「おはよー」
教室の入り口で止まっている何気に目立つ義文に、土屋と吉田が声を掛けた。
「あ…おはよう…」
「義文何か顔色悪いけど大丈夫?」
「具合でも悪いのか?」
「別に…」
そう言うがあからさまに挙動不審だ。
いつもと様子が違う義文に吉田は心配する。土屋も平然とした顔をしてはいるが、根はやさしい
性格なので内心心配している。
とにかく一成とだけは顔を合わせたくなかった。
義文は心配している吉田と土屋をよそに、一成と離れている自分の席へ着く。
一晩眠ってもまだあの忌まわしい記憶が鮮明に残っている。まだ唇の感触が残っている。と言うか
あまり寝つけなかった。
吐き気がするとまではいかないが、大声で叫び出したい気持ちで一杯だ。
まさかクラスメートで友達の男にキスされて告白されるなんて思ってもみなかったわけで。
端から見ればギャグだ。女装したらクラスメートにナンパされてキスされて告白されて。
これがマンガならそんなマンガは絶対読まないだろう。
自分が女だったら嬉しかっただろう。顔がかっこよくて剣道も強い。バンドもやっている。
モテる要素は揃っている。
しかし一成も義文もれっきとした男で。
どうしよう、女装はばれていないだろうが喋りたくない。顔を合わせたくない。というか
合わせられない。
(どうしよう、どうしよう!)
耳の奥でチャイムの鳴る音が響いた。
気づくと回りはざわざわと、お弁当を抱えたり売店の袋を手に下げているクラスメートたちが
目に入る。
気づくとお昼休みになっていた。
「飯食おーぜー」
土屋が大きな弁当袋を抱えて幸せそうなかおで義文の席へやってきた。
「今日は屋上行こう」
同じく吉田もやってくる。
「あ、ああ…」
本当はまだ食欲が戻っていない義文だが、土屋と吉田と共に屋上に行こうとした。
「新田はどうする?」
吉田が一成にお昼のお誘いを掛ける。
義文の心臓は飛び上がる。ばくばくっ嫌な響きで鳴っている。
一成と一緒だと益々ご飯が食べられない。
自分だけ抜けようか、そう思うが一成の返答は、
「いや、今日はいいや、ありがとう」
「そう?」
以外にも断ってきたのだ。
義文はほっと胸を撫で下ろして、三人で屋上へ向かう。
「今日は新田どうしたんだろうな、朝から元気ねーし」
「そういえば今日はあまり話してないよね」屋上に行き、見晴らしの良い場所を確保して
お弁当を広げると、二人はそんな事を言う。
知るか!と義文はつっぱねてしまいたいがそういうわけもいかず、
「どうしたんだろうな…」
と、ぼそりと言うしかなかった。
義文自身が元気がないのは自分で分かるが、なぜ一成が元気がないのか納得いかない。
「お前も調子悪そうだし、二人ともどうしたわけ?」
土屋の二人とも、という単語に引っかかりを覚えるが、
「俺は腹下したんだよ」
とごまかす。
とにかく今は一成が元気がなかろうと関係無い。
義文はお弁当の中身を口にかき込んでさっさと食べ終わるなり、その場を後にした。
風邪が強い屋上から教室に戻ると少しむあっとしていた。
少し目線を一成に戻すと、一成は朝と同じ様にぼーっと窓の外を見ていた。
見ると確かにおかしい。調子が悪いとか、そんな風には見えない。精神的なもので、
心ここにあらずと言った感じだ。
けれどここで
『よお、元気ねーじゃん』
と平然と一成に声を掛けようなら自分はとんだ役者になるだろう。
しかしいつもと違う一成を見てしまうと、良心の呵責に焚きつけられてしまう。
仕方ない、昨日の事は事故だった。そう思う事にしよう。一成だって自分だと分かって
キスしたわけじゃないんだし。
義文はそう自分に言い聞かせて一成の席へ行った。
昼休みが終わるまであと二十分ある。
「何ぼーっとしてんだよ」
義文は精一杯普通の顔をして一成に話しかけた。声は少し低かったが。
すると一成は一瞬止まり、悲しそうな顔でこちらを見る。
「…義文」
なんでそんな顔をするのか分からない。
「義文…義子…さん、怒ってなかったかな」
一成は言いにくそうに俯く。
「なにが…?」
やはり義文の声は低い。
「いや…昨日、無理にキス、しちゃってさ…」
「怒るに決まってんだろ!!」
一成の義文にとっては無神経過ぎるせりふに思わず声を上げてしまった。
しん、と教室は義文に視線を集めて静まるが、やがて元のざわめきに戻る。
「ごめん…」
義文は声を上げた事に謝る。
「いや、悪いのは俺の方だから…」
今日の一成はしおらしい。無理に義文にキスした事を反省しているからなのか。
それを見ると義文としては気分は悪くない。これで何事もないようにいつものように話しかけて
来たなら一成を嫌いになっていただろう。
けど、こうしてしおれている一成を見ると、怒っているのになぜかかわいそうになってしまう。
「あー、まあ、次変な事しなきゃ怒らないと思う。」
義文は窓の外の明後日の方向を見る。
「次…?次も会っていいのか?」
一成は瞳を大きくして明後日の方向を見ている義文を見上げた。
その言葉にしまった、と義文は後悔する。
このまま二度と義子と会うな、と言ってしまえばよかった。
そう気づくが後悔先立たず。
チラっと一成を見ると、次も義子に会えるんだという希望の光が瞳にともっている。
「じゃあ、月末に会う約束したから、午後一時に駅の改札で待ってるって伝えて欲しい!」
泣いたカラスがもう笑った、というのか立ち直りが早い。
「お、俺が言うのもなんだけど変な事すんなよ!会うだけだぞ!」
そんな一成に義文は釘をきっちりと刺した。
強引だし、手は早いし。釘を刺しておかないと次のライブの日に何をされるか分からない。
「わかった。やる時はちゃんと了解を得てからにするよ」
一成はニッと笑う。
こんな奴だったのか…!
振っておけばよかったと、義文は改めて自分の甘さに後悔した。
まあ、一成が何かをしたいと言ってきても了解をしなければいい話だ。これで次に会うライブの
日に無理矢理何かをしようものなら、腹に一発決めてきっぱりと振ってしまうだけだ。
次こそ負けねえ!
そう心の中で宣誓した所で昼休みが終わるチャイムが鳴った。
四時限目の授業の最中に土屋の席から紙飛行機が飛んできて、広げると中には『新田元気になった
みたいだから帰りに皆でゲーセン行こう』と、汚い字で書かれていた。
かなり現金な一成を思い出し、苦笑する。
『あいつは部活があるから無理だと思う』
義文は土屋の紙飛行機に返答文を書いて飛ばす。
すると、『部活休みだから大丈夫だって』と返ってきた。
いつそんな事聞き出したんだよ、と突っ込みたくなる。
しかしここ最近一成とのどたばたでゲームセンターどころではなかったので、たまにはいいかと
肩を下ろす。
放課後ホームルームと掃除が終わると義文、土屋、吉田、一成の四人は校門のバス停から最寄り駅
までバスに乗り、駅前のゲームセンターに向かった。
学校の最寄り駅は、駅前といえど小さい駅なのでゲームセンターは二つしかない。その上近辺には
もう一つ大学と付属の高校があるので、放課後は駅も店も何もかも学生達でいつも混雑していた。
今日は早めに学校を出たため、ゲームセンターはさほど混雑はしていなかった。
ゲームセンターの中に入るなり義文と土屋は
「まずは格ゲーだな」
と、格闘ゲームがあるコーナーへ行き物色する。
そして最近流行りのゲームを見つけると義文と土屋は飛びついた。「おっしゃー、対戦しよーぜ!」
「俺特別必殺コンプしたもんね~」
「何ー!?ぜってーキメさせねえ!」
二人はお金を入れてガチャガチャと操作板を動かす。
唖然と義文と土屋を見ている一成。
二人は水を得た魚の様だ。
「じゃあ僕は脱麻行ってるね~」
「え、脱っ!?」
すでに慣れた様子で吉田は脱衣麻雀のコーナーへ行く。
どうしよう、と一人ぽつんと残された一成。しばらく義文と土屋を見ていたが、あまりゲームは
やらないのできょろきょろと何か簡単で面白そうなものはないかと探す。
するとコントローラーが銃になっていて、その銃で襲ってくる幽霊を倒していくというシューティ
ングゲームが目に入る。
他の座ってプレイするゲームとは違い、画面が平面で大きく、立ってプレイするゲームになっている。
そういえばのゲームににハマっているというクラスメートの友人を思い出した。
ちょっとやってみようかと、ゲームの説明文を読んでお金を入れて、銃を手に取って準備をする。
すると後ろから義文の絶叫が聞こえてきた。
「くっそ!やってらんねー!」
「逃げんのかよ!」
土屋はけしかけるが、義文は気が立っているらしく一成の元へ来る。
「何、それやんの?俺もやる!どれだけ倒せるか競おうぜ」
と、お金を入れてもう一つのコントローラーを手に取った。
大好きなゲームをやっているせいか義文はかなりのはしゃぎようで、いつも見ている義文と違うと
思ったのか一成は少しうろたえ気味だ。
画面に視線を戻すと、早速気味の悪い幽霊達が画面上に現れて襲って来る。
「うわっうわっ!」
次々と途切れること無く湧いて出てくる幽霊達。初めてのゲームにうろたえる一成は、幽霊達に
襲われてどんどんライフポイントを減らしていく。
このゲームは銃口のボイントを幽霊に合わせて、銃を打って倒していくというもので、襲われると
画面が振動して赤く点滅する。ライフポイントがなくなればゲームオーバーになってしまう。
一成のライフポイントはすでに残り少ない。
「あーあー、だめじゃん」
義文は笑いながら横でだめ出しをする。そんな義文はハリウッド映画のアクションヒーローばりに
銃を横に持ち、慣れた手つきで幽霊達をどんどん倒していく。
「ごめん、ゲーム初めてなんだ」
一成は苦笑する。
「銃口が幽霊から微妙にずれてんだよ」
と、義文は一成の腕を持ち補正してやる。
そして襲ってくる幽霊達を一成の腕を持ったまま、一成の銃を打っていく。
幽霊は弾けて消えていく。
「へえ…」
義文に直してもらった後、一成はどんどんヒットしていき、感心する。ゲームも悪くないと。
「うまいじゃん」
かなり素質がいい一成に義文は笑顔で褒めた。一成は笑って照れる。その顔はやはりかわいい。
その後コツをつかんだ一成は幽霊攻撃ポイントを、義文と接戦するようにまでなった。
「おっしゃー、次でクリアだ!」
「義文、岩影からの頼む!」
「じゃあ家の方頼む!」
たかがゲーム、されどゲーム。
義文と一成はすっかりゲームに没頭していた。
「あっそこ、天井から突き破ってくるぞ!」
「えっ?そうなのか…うわっ」
出てきたラストの幽霊を撃って撃ちまくる二人。
ラストまで行く人は珍しいのか、自然と周りにはギャラリーが出来ていた。その中に脱衣麻雀が
終わったのか、吉田の姿も。
「僕もやりたくなったー!」
見事ゲームクリアした二人の元に吉田が駆け寄る。
「じゃあ今度はつちと対戦だな」
「オッケー、オッケー」
てっきり格闘ゲームに没頭していると思った土屋がギャラリーの後ろから姿を現した。
「俺は負けねーぞ~」
「僕だって!」
そして吉田と土屋のポイント接戦が始まった。
「次はUFOキャッチャーだー!」
吉田と土屋の接戦が終わると次はUFOキャッチャーのコーナーへ行く。
義文はお菓子の詰め合わせを狙うが、掴んでは途中で落とす。
土屋はいらないのにぬいぐるみを取っていた。
「どうすんだよ、このアライグマ」
「やる」
「いらねーよ!俺はお菓子の詰め合わせが欲しいんだ!」
「よし、俺もやってみる」
一成が腕をまくる。
「行けー!詰め合わせだぞー!」
やはりゲームをやった事のない一成。結果は歴然で。
「まあ、練習あるのみだな…」
ぽんぽん、と義文は一成の肩を叩いた。
「見て見て、マグカップとれたよー」
裏のUFOキャッチャーでこそこそとマグカップを取っていた吉田。
マグカップ欲しかったのか、と三人は半笑いで聞くと、割れたから欲しかったと返ってくる。
よかったな、と吉田の肩を叩いてやる。
UFOキャッチャーが終わると次はコインゲーム。
珍しくスロットであてる義文。コインがじゃらじゃらと出てくる。それを三人に分けて、
それぞれやりたいコインゲームを堪能していた。
色々なゲームを楽しんでから、四人は近くの本屋へ行くことにした。
「本屋行こーぜ」
「そーいえばゲームステーションのスペシャル版出てたよな」
ゲームセンターを出ると辺りはすっかり夕暮れ色で、駅前は学生達で賑わっていた。
四人はゲームセンターから歩いてほんの数分ほど先の本屋へ歩いていく。
本屋は学校の教室ぐらいの小さい本屋だ。
そこに主婦や、小学生から大学生までの学生が入っているので、七月上旬という事もあり熱気が
凄かった。
雑誌を立ち読みする学生達をかき分けてゲーム雑誌のコーナーへ行く四人。
「あったあった」
「ガンスレイブの攻略載ってる?」
「僕はやっぱ月に祈る少女やりたいなー」
「え~、やっぱ獣系っしょ!」
「それなら従順少女じゃない?」
「だから、お前の勧めるの何で少女がつくのばっかなんだよ」
シューティングゲームの攻略をひたすら読んでいる義文の横で、美少女系パソコンゲームの紹介雑誌
を広げる吉田と土屋。その様子に苦笑する一成。
それぞれ読みたい雑誌を読んでいる様なので、一成は音楽雑誌のコーナーへ行き、ギター雑誌を読む。
好きなバンドのインタビュー記事を読んでいると、どうやら義文と吉田、土屋は格闘のコーナーへ
行ったらしい。特徴のある三人の声と会話は狭くて騒がしい本屋の中でもすぐ分かる。
一成はくすくすと笑いながら義文達の元へ行く。
「やっぱ三木だよなー」
「いーや、高橋だな」「何見てんの?」
一成はかたまって雑誌を読んでいる三人の元へ顔を出した。
「K1だよ」
「へ~、俺はケインが好きだな」
「え~!一成K1見るの!?」
意外、という顔で義文は一成を見る。
「格闘全般は深夜に見てるよ」
「サッカーは?」
「マリンズ」
今度は土屋が一成に聞いた。
「オッケーオッケー、今度はトトに決まりな~」
「まじっすか~」
もう次の遊ぶ場所を決める土屋に三人はげらげら笑う。
辺りが薄暗くなったところで四人は解散する事にした。
「あ~、今日は楽しかった~!」
義文は電車の中でのびのびと満足そうに笑う。
とにかく笑って笑って、どれくらい笑ったのか分からないくらい楽しかった。
そんな義文を一成は楽しそうに見ている。吉田と土屋は反対方向の駅なので、駅の改札を入って
別れた。
「今日は義文見ている方が楽しかったな」
「はあ?何で?」
昨日の義子キス事件をすっかり忘れている義文は、きょとんと笑顔で見つめている一成を見た。
「いや、本当にゲーム好きなんだな、て思ってさ」
「ああ、好きだぜ!超好き!音楽好きなのと同じ位好きだぜ!」
ゲームを操る義文は生き生きしていた。
ここ最近義子の事があったのでゲームをしても十分に楽しめなかったのだ。
放課後ほぼ毎日の様に吉田と土屋とでゲームセンターに行っているが、ゲームに慣れている三人な
だけに騒ぐほどの事でもない。
ゲームのやったことのない一成が加わった事で教えようとしたり、騒ぐ騒ぐ。
四人で騒ぐのはかなり楽しかった。
「俺ゲーム凄い好きでさー。なんか現実から非現実に行けるっていうか、現実に出来ない事を
気休め程度でも出来ちゃうから夢中になっちゃうんだよな」
「その気持ちは凄い分かるかな、俺も音楽がそうだから。日常の嫌な事や、言葉に出して言えない
気持ちを音にして、しがらみとかなく自分の世界をだせるから、だからやめられないんだよな…」
義文はふいに、真顔で通り過ぎていく外の街並み見ている一成を見つめる。
言葉に出せない気持ちというのは恋愛とかだろうか、そもそも一成に限って日常嫌な事があるの
だろうか。
と、つい失礼な事を思ってしまう義文。端から見れば十分人生を楽しんでそうだが…。まあ、
人には誰にも分からないしがらみを自分の内に飼っているのだろう。
義文も窓の外の街並みを見る。
「たまに、家に帰りたくなくなるんだ…」
「……え、何で…?」
ぼそりとこぼす一成の言葉に義文は目を丸くした。
そんなに深刻に悩んでいる事があるのだろうか?
「そうだ、義文の家に遊びに行っていいかな?」
瞳を揺らして一成を見つめた途端、一成はパっとこちらへ向いてそんな事を言い出す。
「はあ…、何でそうなるわけ?」
真剣に悩んでいるように見えたと思えば、突然わけの分からない事を言い出す。
「まだ義文の家に遊びに行った事ないからさ」
「特別な物はないぞ。」
「あるよ、俺にとっては…」
義文へ意味ありげに微笑む一成。
義文はハッと気づく。
義子か!
「あ~…、義子は美幸姉ちゃんと一緒の部屋だから見れないぞ!」
ぎこちないがあわてて釘を刺す。
「え、一緒の部屋なの?」
「家狭いんだよ!」
確かに義文の家は狭いのだが、自分で言うと嫌な感じだ。
「それでもいいから行ってみたい」
「む~…、俺の部屋汚いけど、それでいいなら来れば?」
義文はしぶしぶ了承する。
義文の家に義子が住んでいると思っている一成はすでにごきげんだ。
何も知らないで、とその様子を見るとやはりお気楽に見えてしまう。
一成の横顔は本当に嬉しそうだった。
こいつは女装した俺が義子だって知ったらどうなるんだろう。
ナンパしてきたり、キスして告白してきたり。
もし俺が、吉田が女装とかして一成にしたのと同じ事をしたならどうなるだろう。そう思うと
かなり恐ろしい。吉田には悪いが、真実が分かったその日から家に籠もりきりになるだろう。
それだけの事をしているのだ自分は。とにかく隠し通すしかない。一成とはどうしても友達をやめ
たくない。そう自分の都合のよい事ばかり考えてしまう。
罪悪感が重い溜め息として出てくる。
横で嬉しそうにしている一成を横目で見て、胸が締めつけられた。
地元駅に着き、早速義文の家に向かう義文本人と一成。
駅から十五分ほど歩いて、その家は姿を現した。
空は薄暗いコバルトブルーとオレンジ色が混じり合っていた。
白い義文の家もその夕景色にすっかり染まっている。
小洒落たデザインの扉を開けると、美佐子が作っているのだろう夕食のいい香りが漂っていた。
「ただいまー」
「おかえりー」
玄関から大きな声で帰りを告げると、右側にあるリビングの奥にあるキッチンから美佐子の
小さな声が返ってきた。
そして靴を脱いで家に上がると義文はリビングへのドアを開け、頭だけ入れて叫ぶ。
「友達来てるからーっ」
「吉田君と土屋君~?」
「いーや、新しい友達ー」
「そう、晩ご飯はどうする?食べていく?」
声が近くなったと思ったら、美佐子がキッチンから出てきて義文の前に来た。
美佐子は義文が半開きにして頭だけを出しているドアを開けると、布巾で手を拭きながら一成の
前へ来てにっこりと笑う。
「いらっしゃい、今お茶用意するわね。お夕食はどうする?食べていく?」
そんな美佐子に一成は戸惑いがちだ。
「すみません、急にお邪魔してしまって。ご迷惑になりますから、大丈夫です」
「別に迷惑じゃないから食べてけば?せっかく来たんだしさ」
義文が美佐子の横に来て言う。
「あ~…、ではすみません、ご馳走になります」
一成は照れくさそうに言うと、美佐子はわかった、とキッチンへ向かう。
すると真後ろの階段の上から足音がした。
義文はその音を聞いた途端、頭に手を置いた。
「なんか騒がしいけどお父さん帰ってきたの~?」
今日義文が家の中で最も会いたくない人物が階段から降りてきた。
「あれ?お父さん出張から帰ってきたわけじゃないんだ」
「何寝ぼけた事言ってんだよ姉ちゃん、俺の友達が来てんだよ」
生意気な言葉を返す弟の義文に制裁を下そうとするが、美幸は玄関に立っている一成を見て止まる。
そして一成の頭のてっぺんからつま先までじろじろと見る。
品定めが始まったか。
義文は溜め息。
男にだらしなく、なおかつ男の理想の高い美幸が一成を品定めしているのだ。
そして嫌な笑みを浮かべて義文の脇腹をつつく。
結構いいじゃない、紹介しろ、と。
義文は嫌だ、と目で返す。
「こいつ、姉の美幸。俺の部屋二階だから」
義文は一成へ家に上がるように促す。
「お邪魔します。初めまして、新田と申します。」
「いらっしゃい、ゆっくりしていってね」
家に上がった一成は美幸に礼儀よく挨拶をし、美幸は声もいいわ、と笑顔で返す。
語尾にハートマークが付いたような甘い声なのが義文としては引っかかる。
「お姉さん美人だな…」
「義子から乗り換える?」
「しないよ、そんな事!」
階段を上がり、慌てる一成をよそに廊下から一番奥の義文の部屋へ入る。
「義文のおばさんも若いし」
「見た目だけだって」
ベッドに腰掛けるよう一成を促して、義文はクローゼットを開ける。
「着がえていい?」
「え…あ、ああ」
「?」
一成は俯いて少し居心地悪そうにしている。
「義子ちゃん、いつ頃帰ってくるの?」
「さあ?夜遅いんじゃない?」
そろそろ義子への嘘が馴れてきた義文は、普段着に使っている黒いパーカーに柔らかめの色の薄い
ジーンズを着てしれっと返した。
すると服を出した際、不安定に入れていた美幸からプレゼントされたピンクのショップブランドの
紙袋が、パカっと義文の後ろに落ちてきた。
その中にはもちろん先週の日曜日に着たいわく付きの服が入っている。
何が落ちたのだろうと振り返って足元を見て、義文は凍りついた。紙袋からは若干白のブラウスが
顔を出している。
一成を盗み見ると、一成もピンクのショップブランドの紙袋を見ている。
義文は嫌な音をたてて鳴る心臓を、動揺をなんとか外には出さずに、何事もなかったかのように
紙袋をクローゼットの奥に突っ込んで勢いよく扉を閉めた。
そこでタイミングよくドアからノックが聞こえた。
これで意識はドアに向けられ、年頃の男の子が持つのに不自然なピンクの紙袋について、何かを
聞かれることはないだろう。
しめた、と義文は返事をする。
「はーい」
「お茶持ってきたわよ~」
聞こえてきた声の主はお茶を入れてくれた美佐子ではなく、姉の美幸だった。
どことなく鼻にかかった声で、美幸の目的は分かっていたが、わざわざお茶を運んでくれた実姉に
毒を吐く事はできずドアを開けた。
「サンキュー」
そしてお茶の入った食器が乗っているトレイを受けとると、美幸は小さな声で耳うちする。
「ねえねえ、紹介してよ~。彼なんでしょ?バンドやってる友達!」
「剣道も強いぜ」
「いや~ん、レベル高すぎ~!紹介してよ~、中に入れてよ~」
「やだ」
「そんな事言うともうメイクしてあげないわよ」
甘い顔から急に真顔になる美幸。
次に一成と会うことは美幸には言っていないが、メイクをしてもらえないのは困る。
そもそもナンパされたのがここにいる一成だという事も喋ってないのだ。
ここで美幸と一成に談笑させて、一成に義子のいらない詮索をされてはたまったもんじゃない。
どうしよう…。
悩む。悩むが、悩むほど姉に逆らえる力は持っていない。
仕方ない、と義文は美幸を中に入れる。
「ごめん一成、姉ちゃんが話したいって」
「別に、俺はいいよ」
何も知らない一成は穏やかに微笑む。
そんな屈託のない一成という人物に胸を痛めるのだが。
そして義文と一成を泥沼に漬からせたすべての諸悪の根源である、憎むべき姉美幸を舌打ち
しながら部屋の中へ入れた。
美幸は図々しくベッドへ座る一成の横へ腰掛けた。
「新田君て、下の名前一成って言うんだ~。かっこいいね!バンドやってるってホント?」
「やってますよ。俺はギターなんですけど」
「何系~?」
「ロックです」
「え~、いいじゃない。私ジェームズ・ブラウンとかよく聞くわよ」
「いいですよね、俺も好きです」
一成と美幸は自然と義文には分からない音楽の話で盛り上がっている。
そんな二人を双方義文の地雷を踏むような、何か余計な事を言いやしないかとはらはらして
見ている義文。
気づくと美幸は一成へにじり寄っていた。
何だかばからしくなってきたので、トレイに茶菓子がないのに気づいた義文は下へ行く。
下へリビングに入ると、今日の晩ご飯はシチューなのか、キッチンからはクリームの香りがした。
「母さん~、何かお菓子ない?」
義文はいい匂いのするキッチンへ顔を出す。
「ご飯出来たから美幸とお友達読んできて」
美佐子はシチューの入ったお皿をキッチンとダイニングをつなぐカウンターへ乗せる。
「やった、シチューだ!」
クリームシチューとカレーライスとハンバーグが大好物な、子供みたいな義文。
うきうきと二人を呼びに行く。
「飯出来たってー」
ドアを開けると一成と美幸はなかなかいい感じになっていた。
「お邪魔した…?」
なぜか遠慮がちになってしまう義文。
「いや、邪魔じゃない。行くよ」
そしてなぜか慌てる一成。美幸はくやしそうにしている。
三人は連なって階段を降りて、ダイニングへ行き、美佐子の作った晩ご飯を食べる。
他愛もない話で盛り上がり、いい時間になった所で一成はおいとまする事になった。
せっかく家に来たというのに、一成とあまり話していないのに義文は物足りなさを感じる。
「送っていくよ」
義文は玄関で帰り支度をしている一成の横に来てスニーカーを履く。
「ありがとう」
外へ出ると時刻は夜九時を回っているので真っ暗になっていた。
体を撫でる夜の風が心地いい。
「姉ちゃんうるさくてごめんな」
自分の姉ながら恥ずかしい、と呆れる義文。
「別にいいよ」
夜道を歩きながら一成はくすくす笑う。
そんな一成を横で見て、ご飯で階段を降りている際呟いた美幸の言葉を思い出した。
『一成君凄く好きな人いるって話された…もうっ超くやしい!私の魅力が通じないなんて!』
などと。
確かに美人だが、どの男もおとせると思っている自信満々の美幸もどうかと思う。
しかし美人がいいよってもそれに惑わされない一成。
それは義子にそれだけ惚れているから、という事になる。
現役女子大生の美幸ほど大人の色香はないが、メイクをすると美少女の義子。
しかし中身は義文だ。一成は面食いなのか。
そうでなければ自分のどこに、一成を縛る魅力があるのだろう。
話だって質問に機械的に返しているだけだったのに。
誰にでも言葉では言い表せない魅力がある。
しかし一成ほどの、その気になれば女がよりどりみどりな男に好かれる魅力が、義文自身に
あるとは思えなかったのだ。
「一成って面食い?」
ついに我慢出来なくなって、頭の中でぐるぐると回っている疑問を一成に聞いてみた。
「何だよ、急に?」
一成は変な顔して義文を見る。
「いや、何で義子、が好きなのかなって思ってさ。一緒にいても面白くないだろうし、
どこがいいのかわかんねぇ」
理由を言うと一成は少し困った顔をした。
「そんな事言うなよ…。俺は別に面食いでもないし。話とか面白い面白くないとか、
そういうんじゃなくて、彼女の独特な雰囲気が好きなんだ。どことなく掴み処がなくて、
すごく気になるし、もっと知りたいと思う。あとは約束は破らない律義な所とか」
一成はまるで目の前に義子がいるかのようにいとしそうな顔をして語る。
普通に聞いているとかゆくなってきそうなせりふだが、義文は素直に聞いていた。
そして思う。
そんな風に好きならどうして義子が自分だと気づかないのだろう。こうして隣にいたり、
学校でも話をしているのだから少なからず気づいてきてもいいはずだ。
結局一成は何も見ていないのだ。一成にとっては義子がいればそれでよくて、自分はあくまで
その義子の弟なだけにすぎない。そんな風にしか義文を見ていない。
そう思うと酷く悲しくなる。
義子は自分自身なのに、一成の前では義文自身は二次的存在でしかない。
暗い夜道は駅通りの明るい繁華街に変わる。
「ここでいいよ」
一成はちょうど、二週間前に二人がぶつかった場所で足を止めた。それから鞄の中をまさぐって、
CD-Rを義文へ渡した。
「これ、新しいデモ。メンバーに作詞作曲、歌も任されたものなんだ」
「すげーじゃん!」
CD-Rを受け取った義文は喜々とする。
「義子ちゃんに渡して欲しい」
「……」
一成の一言で胸がえぐられた。
ただでさえ今日の一成の告白に悲しみを受けているというのに、それに追い打ちをかけるような
事を言われたのだ。
(やっぱり…)
「…わかった…」
「じゃ、また明日」
「ああ…」
一成は手を上げると草々と繁華街の人混みの中に消えていった。
義文だけがぽつんと立っていた。
吉田や土屋も女の子は大好きだが、もし一成と同じ状況に立たされたらどうだろう。
女装した義文に対してお前何なってんの?と、即座に言うだろう。
家に帰ってから一成から渡されたCD-Rをパソコンに入れて再生してみる。
どうやら家でMDで録音してパソコンに入れたらしい。
ケースの中には歌詞も入っている。
それは、伝えたいのに伝えられない、近くにいるのに触れられない、そんな秘めた恋心を歌った
ものだった。
一成の歌声は低くもなく高くもなく、ちょうどいいテノールで、ボーカルでも十分通用するくらい
上手かった。
しかし歌を吟味する程にはとにかく悲しくて、悲しくて。
義子を想う一成の心が痛いほど伝わってきて、この歌が余計義文を悲しませた。
どうせ自分は一成と義子をとりもつだけの存在。そんな風にしか思われていない。
ライブの日に今度こそこの関係を終わらせよう。
一成には悪いが、一成の恋を終わらせてもらう。悲しいだろうがそれが現実なのだから。
そして義文は目を瞑る。


七月月末、ライブ当日は快晴に見舞われた。
「ほら、動かないで!」
「だって目怖いんだもん」
「動いたらマスカラが余計目に入って痛いわよ」
義文は今日ライブへ行って一成と会わなければいけないので、もはや恒例になりつつあるメイクを
美幸にしてもらっている。
ライブが始まるのは夜の六時だが、一成がその前にデートをしたいと言ってきたので、午後一時に
会う約束をした。
ただし、四時からライブのリハーサルをするため、その前に一旦別れなければならない。
「今日夜遅くなるから」
義文はマスカラをつけている途中なので、必死で目を開けながら言う。
「ああ、私もサークルの飲み会があるからいいんじゃない?お母さんいないし」
「未成年のくせに」
「マスカラ目に入れるわよ」
「楽しんできて下さい」
義文の父親は上場企業である電気工事会社の中間管理職をしており、現在は東南アジアに
出張している。
そして母美佐子も父の生活をサポートするため、義文と美幸の学校が夏休みの間だけ父の元へ
行ってしまったのだ。
なのでその間だけ自分の事は自分でしなければならない。義文が中学生の頃から始まったので、
今はもう慣れて気にならない。
むしろたまに開放的でよいと義文と美幸は思っている。
「さ、出来たわよ。新しい服貸してあげるからさっさと着ちゃいな」
「へーい」
義文はいやいやながらも美幸のギャル服を着る。
薄手で七分袖の白いパーカーにジーンズ、腰にはバックルを付けている。
胸元も少し開けてシルバーのシンプルなチェーンネックレスも付ける。
足のサイズが同じなので美幸はミュールを履けと進めたが、義文は履きたくなかったので自分の
スニーカーを履いて行く事にした。
外へ出ると空は真っ青で、初夏の香りがして清々しい。
そして義文の心は決まっているのでもう迷いはない。
今日こそ一成と義子の関係を終わらせる。
義文は気合いを入れて一成と待ち合わせをしている駅へ歩いていった。
「おはよう」
待ち合わせ場所である地元駅の改札にはすでに一成が来ていて、義文と顔を合わすなりさわやかに
挨拶をしてきた。
「おはよう」
色々な心の葛藤がありすぎて一成とはあまり顔を合わせたくないのだが今日は仕方がない。
「昼ご飯食べた?」
そんな義文の事も知らずに一成は笑顔だ。
「まだ食べてない」
「じゃあ、おいしいとこ知ってるから行こう。スタジオもそこから近いから」
一成が行こうと言った場所は、義文が一成によって
ファーストキスを奪われた忌まわしい場所の近くだった。
嫌な事を思い出してしまったと目が揺らぐ。
さ、行こうか、と一成は義文を促して二人は電車に乗った。
「何か見たいものとかある?」
「…特に無い」
「そう?」
電車は日曜日のお昼時なので混んでいた。義文と一成はドアの横に立って話している。
とりあえず女装している時はあまり出歩きたくないし、一成ともあまり話をしたくない。
実はあの一成が義文の家に遊びに来た次の日から今日のライブの日まで学校ではあまりしゃべって
はいない。
露骨に一成を避けているわけではないが、友達の輪に入って話を聞いているだけだった。
義文は電車の中でも男達の注目の的で、それを遮るように一成は義文の前に立っている。
目的の駅に着いて、昼食を取ろうと一成は例のお勧めの店に行く。義文はそんな一成の後に
ついていく。
着いた頃にはお昼の時間は少しずれていたが、一成が入ったイタリア料理のカフェレストランは
平日でも混んでいた。
どうしよう…。
義文は店内を見回す。
レストランの外観もそうだが、店内はアンティークのインテリアで上品にまとめられていて、
ランチに何千円もしそうだ。
とても食事だけにそんなにお金をかける持ち合わせは義文にはない。
財布の中には美佐子から渡された夏休み中の生活費が入っているのだが、向こう一ヶ月の生活が
あるので迂闊に手が出せない。
仕方ない、ここ一週間はインスタントラーメンとレトルトカレーだな…。
義文は一成には気づかれないように小さな溜め息をつく。
このレストランのメニューは大抵食べ尽くしているんだそうな一成は、お勧めのメニューを頼む。
「ここは家族でよく食べに来るんだ」
「へぇ~、いいな。うちはそれぞれはいいもの食べてんだろうけど、家族で来ないからなー」
やはり店内を見回す義文。言葉通り外食などあまりしないのと、海外赴任が多い父親は海外の
料理をあまり食べたがらない。
義文が友達と外食する時は決まってお金のかからないファーストフード店。なのでこういう
レストランは珍しかった。
「食べたらどこ行く?クインズスクエアとか」
「あ、行きたいかも」
義文は一成の言った場所反応した。
そこにはとても大きなゲームセンターがあるからだ。
一成は嬉しそうに義文を笑顔で見つめている。知らずに義文はテーブルに置かれたお冷を飲む。
「あそこのエスカレーターって日本一長いって聞いたんだけど本当かなぁ?」
「え、そうなの?」
「登りのエスカレーターに後ろ向きで座るとスゲー面白かった」
義文はけらけら笑いながら自分の体験談を話す。
「今日は広場で何かイベントとかやってるかな」
「あ、前に広場で芸人がコントやってる時、真っ白い犬がでかいグラサン掛けてるの見てさー。
はっきし言ってそっちの方が笑った」
「まじ?」
二人は笑う。
そして前菜が運ばれて来た。
「いただきまーす」
義文は鴨肉のカルパッチョのサラダを一口、口へ運ぶ。
「あ、おいしい…」
「うん、おいしいよね」
義文は口へ運んだ鴨肉のおいしさに顔が綻ぶ。
それから義文は自分が女装している事も忘れて、おいしいおいしいと言いながらランチをたいらげる。
「は~、うまかった~」
「ソースついてるよ」
「え、どこどこ?」
「ここ」
一成は義文の口元についているソースを布巾で拭いてやる。
「取れたよ」
「ありがと」
「メイク取れちゃうかな?」
「!!」
一成の一言ですっかり素に戻っていた自分が、女装をして一成と会っているのだという事を
思い出した。
やばい、ばれるかも…。…いや、一成の事だから大丈夫か。
そう、今まで義子として一成と会っていても、義子が義文なんだという事にでんで気づかない一成。
一成の表情を見ると、相変わらず義子を見るいつもの甘い視線で自分を見ている。
ここまでくると悲しいものがある。
「そろそろ出ようか」
義文は立ち上がった。
「そうだね」
一成も伝票を持って立ち上がる。
一成は伝票をレジに出して会計をする。義文はレストランの外で一成が出てくるのを待つ。
「いくら?」
一成が会計を済ませてレストランから出てくると、義文はいくらかかったのか聞いた。
「いいよ」
一成はさらっと笑う。
「悪いから払うよ、この間も奢ってもらったし」
「んー、義子ちゃんにおいしいもの食べてもらいたかっただけだからいいよ」
「…そう…?」
どこまでいい奴なんだと涙ぐみそうになる義文。
そして二人は義文が行きたいと言った、大きなゲームセンターがあるビルの中のショッピング
プラザへ行った。
「あったあった、ウワサのエスカレーター」
「え、後ろ向きに座るの?」
「下る時じゃなくて登る時だ」
そう言って義文は下りのエスカレーターへ乗る。
昼食代が浮いた義文は、その分ゲームに使おうと遊ぶ気満々だ。
長い長いエスカレーターを下り、ゲームセンターへと行く二人。
「これやろうぜ!」
すっかり目の色を変えた義文はミュージックゲームへ飛びついた。
ミュージックゲームは色々な楽器がでている。
「一成なんかはこれじゃない?」
ギターがコントローラーのゲームを指す。
「こんなのも出てるんだ」
「思い切ってこれは?」
「三味線はやめようよ…いや、やってみるか」
「まじで!?」
義文は冗談のつもりで言ったのだが、一成はすでにお金を入れていた。
「曲はどれにする?」
「あ、これなんか面白そう」
そして三味線のコントローラーを構えて曲を選択する。
曲が流れてきて三味線を弾く二人。実際には画面上に曲に合わせて出てきた記号に合わせて弦を
叩くだけだが、端から見ると三味線を弾いているように見える。
「意外とむずい」
「そう?」
音感と反射神経のよい一成は、四苦八苦する義文を横目にひょうひょうとやり抜ける。
「うあーっ負けたー!」
「まあまあ、次はどれやる?」
「ギターとかキーボードだと絶対負けるから~、太鼓。太鼓だ!」
今度は太鼓の所へ行き、義文がお金を入れる。
「次は負けねーからなー」
「曲は何にする?」
「じゃ、これ」
義文が曲を決めて真剣と言うべきか、勝負が始まった。
「やっりぃー」
「修行中…」
「まあまあ、俺のようにやり込めば大丈夫だって」
義文は一成に勝ったと思ったらごきげんなものだ。
「次はダンス行くか!」
「あ、曲はこれがいいな」
「これって難易度星四つだけどいいわけ?」
「まあ、やってみるさ」
一成は不敵に笑う。義文もにやりと笑う。
「意外に疲れる~」
「普段運動してないとか?」
「いんだよ、頭脳派なんだから!」
「頭脳派~!?」
「お前失礼すぎ!」
右左前後と、画面に出てくる矢印に沿ってステップを踏む義文と一成。
ジャンプが三回続いて息が上がってきたところで笑う一成とむくれる義文。
「次はどれにする?」
「あっ、あれ、タクシードライバー2やりたい!あれ一回やるとはまるんだよー」
「わかった。俺は喉乾いたから何か飲み物買ってくるよ」
「ああ」
一成はそう言ってゲームセンター内にある自動販売機の所へ行く。ゲームセンターはかなり広いので一成の姿はす
でに小さくなっていた。
義文は次の目当てのゲーム機まで行き、お金を入れて座席に座る。
「くそっ早速ゲームオーバーかよ!それにしても一成遅せーな…」
すぐにゲームオーバーになってしまった義文は憤慨してゲーム機の座席から降りる。
義文はゲームをしてすぐに終わってしまったものの、飲み物を買ってくると言って自動販売機の所へ行った一成が
まだ戻ってきていないのに気づいて辺りを見回す。
「ま、いいや。なんかやってよ。」
そうして次のゲーム機へ行こうとした時、義文は前方不注意で人とぶつかった。
「あ、すみません…」
「ああ、こっちこそごめん、大丈夫?」
ぶつかった相手からは感じのいい返事が返ってきて、義文はぶつけて痛い鼻の頭をさする。
手前の足元を見るとジーンズやら綿のパンツやら穿いた男の足が三つ。
「俺は大丈…」
顔を上げて義文は凍りつく。
「君すっげーかわいいのに自分の事俺って言ってんのー?」
「てゆーか一人でゲーセン?だったら一緒に遊ばねえ?」
「ああ、それいいかも」
べらべらと勝手な事を言ってくるぶつかった男三人衆はよく見ると中学二年生の頃のクラスメートだった。凄く親
しいというわけではないが、進級しても廊下で会えば挨拶をするくらいに普通に話をしていたクラスメート。
右から茶髪で軽そうな竹内にコンタクトにしたのか、中学の時はメガネをかけていたインテリちっくな久保、普通
にゲームが好きな浅野。
義文はあまりの驚きと動揺で心配停止すんぜんだ。頭の中は真っ白でぐらぐら揺れて、心臓は鼓動一つ一つが破裂
しそうなくらいばくばくと高鳴っている。
ああ、殺人を犯して警察に見つかった犯人もこんな心情なのか。
殺人を犯したわけでもないくせにそんな事を思う義文。
まだ竹内達には自分が義文だとは気づかれてはいないが、ばれるのは時間の問題だ。
まさか中学のクラスメートが女装して男とゲームセンターに来ているなんて夢にも思わないだろう。
ばれるまえに何とかこの三人から逃げ出したい。
「あー、悪いけどー、友達と一緒だからー」
義文は精一杯かわいく言ってみる。
「友達って女の子?」
「だったらなおさら一緒に遊ぼーよ」
「そうだよ」
「悪いけど二人で遊びたいんだ」
義文は一緒に来ている友達、一成の事は男だとは伏せた。
「何なに、君もしかしてレズとか?」
ああ言えばこう言う。
この三バカ達!と、義文は怒鳴りたくなるが、ここで怒鳴って自分の正体がばれては元も子もないのでなんとか堪
える。
「さ、行こ行こ」
「ちょっ…」
竹内は義文の肩を抱いて歩き出す。
その竹内は、ん?と変な顔をして義文を見る。
「……何?」
「あ、いや何でもない」
竹内は美少女な義文を見て顔を赤くする。
「てめーずりーぞ!俺だって」
「まあまあ」
そう言って今度は浅野が義文の手首を掴んで歩き出した。
一成といいこいつらといい、男ってどうしてこうも強引で勝手なんだろうと義文は思う。
浅野は竹内と同様に変な顔をして義文を見る。
「何?」
義文は浅野を睨む。
「いや、君って意外に硬いんだなーっておもって」
「あ、やっぱ浅野も思う?」
「……やっぱ帰る」
「わー!ごめんごめん!待ってよ!」
浅野と竹内の一言で義文はきびすを帰すが、何とか竹内達は取り繕う。
「はーなーせー!」
三人に囲まれて四苦八苦する義文。どう逃げようか悩む。
「じゃあさ、名前と携帯番号教えてよ」
「あ、メアドも!」
「俺も教えて欲しいな」
「しつこいぞお前等!」
義文は半分キレかかる。と、
「俺の連れに何か用?」
竹内達より背の高い一成が後ろから怖い顔で見下ろしている。
「一成!てめどこまでジュース買いに行ってたんだよ!」
助かった、とは思うものの一成が飲み物を買いに自動販売機の所に行かなければ、中学のクラスメートにナンパさ
れずに済んだのだと思うと叫ばずにはいられなかった。
「ごめんごめん、買いたいのがなくてさ。下のコンビニまで行ってきた。」
そしてまだいたのか、とばかりに義文の回りにいる竹内達を睨む。敵意むき出しに。
(こ、こわい…。)
思わず背筋が凍る義文。
「あ…友達って男だったんだ…」
いきなりの長身二枚目な男の出現により、かっこわるくもすごすごと引き下がる三ばか達。
情けなくもあり、惨めでもあり、かわいそうでもある。
まあ、自業自得なのだが。
これが全くの他人なら義文はざまーみろ、と心の中で笑ってやれるのだが、相手は中学の頃のクラスメートだ。何
とも言えない気分になる。
「さ、行こうか」
一成は極上に微笑んで義文の肩を抱いてゲームセンターの出入り口へと歩き出す。
義文はそんな一成に図々しいぞ、と思うが一成の睨み顔を思い出して思いとどまった。
もし自分が義文だと一成にばれたらどうなるのだろう…。
こ、殺される…。
男にナンパされているのを見て殺気交じりの視線を送ってきたのだから、義子への惚れっぷりは相当なものだ。
「そうだ、これあげる」
「…これは」
ゲームセンターから出た一成は思い出したようにバッグから出して義文に渡す。
一成から渡された物を見ると、それは学校でよく飲んでいるペットボトルのジュースだった。義文の大好きなジュ
ース。
七月末の快晴で外の気温は暑く、ペットボトルはひんやりと気持ち良い。
これを買いにわざわざコンビニまで行っていたのか…。
義文は恐る恐る一成を見上げると、一成も同じジュースを飲んでいる。
そして一成は義文を見て穏やかに微笑んだ。
「学校で義文がいつも飲んでるの見てつい俺も飲みたくなってさ」
「そ、そうなんだ…」
自分の正体がばれたわけではなかった。
「義子ちゃんと義文って見てると似てるからさ」
その一言に義文は心臓が飛び上がる。今日は心臓が飛び上がってばかりだ。
「ぜ、全然似てない!あ、あんなのと一緒にするな!」
義子も見てるが義文自信もちゃんと見ているんだという一成の言葉に嬉しくなるが、同一人物だとばれては一成に
殺され兼ねない。少しどもりが入って怪しいが、義文はきっちりと否定した。
「気分悪くしたならごめんね」
「別にお前が謝る事じゃないよ…」
素直に謝る一成にばつが悪くなる義文。
「せっかくだから他も見ようよ」
「いいけど…」
そして義文と一成はビル内のショッピングプラザへ行った。
そこはメンズよりもレディースのブティックと雑貨屋が多い。
義文にとっては全く興味の無い場所だった。唯一興味を惹かれるとしたら、そのブティックの間にあるジェラード
アイスの店だ。
ついつい目がそちらへ行ってしまう。
「食べたい?」
一成は義文を見てくすくすと笑う。
「…食べてみたいけど混んでるし」
「食べてみたいって、ジェラード食べた事ないの?」
「いや、まあ…」
普通の甘い物大好きな女の子なら食べた事はあるだろうアイスクリームを義文は食べた事がない。
それ以前に、月の小遣いをパソコンの部品に注ぎ込んでいる義文は、電気製品のメッカである秋葉原とゲームセン
ター以外遊びに行かないのだ。
一成と知り合ってから普通の高校生並みの遊びをするようになった位で。
しかしそんな事は当たり前のごとく言えないので義文は黙る。
「あの位ならそんな時間かかんないよ」
「そっかな、じゃあ買おうかな」
義文は目をキラキラと輝かせて、ジェラードの店へ行く。
店内は狭く、食べる場所も無いため客は店の外まで並んでいる。ジェラードを買った人達はショッピングプラザ内
にあるベンチに座って食べていた。
「義子ちゃんて本当かわいいよね」
くすくすと一成は傍らで笑う。
どこからそんなせりふが、どうやって出てくるのか。義文は一成をうさん臭く見上げた。
「どこをどうとってかわいいわけ?」
「全部」
一成は義文の頭をぽんぽんと軽くたたく。
いとしくて、大好きで、かわいくてたまらない、そんな感情で義文に笑いかける。
好きな女の子にしかそんな表情をしないのだろう一成のその笑顔は一人の男としてとてもカッコ良かった。
とても爽快でとても男らしい顔。
その顔を見た瞬間義文はドキッと心臓が高鳴る。今までの、女装がばれるかばれないかの焦燥感とは明らかに違う
胸の高鳴り。
くそ、どうかしてる!と義文は苦虫を噛み潰したような顔で視線をずらす。
そして義文達の番になったのでレジでお金を払い、注文札を受けとった。
お金を払ったのはまたも一成で。義文は注文札を一成から渡された時に、立て替えてもらったお金を渡す。
「はい、お金」
「いいよ」
「さっきから奢って貰ってばっかで悪いよ」
「俺がそうしたいだけだからさ」
「じゃあ…そうさせてもらう」
一成は男らしい上に大変気前の良いいい奴で、さらに義文の罪悪感をどん底まで落としめる。
義子が義文だとばれた時、このやさしさはどう憎しみに変わるのか。想像しただけでも恐ろしい。
「義子ちゃん、注文出来るよ。義子ちゃん?」
「えっ?ああ…」
義文は自分の罪悪感と、一成に正体がばれた時の事を想像して少しトリップしていた。
一成に呼ばれて現実に引き戻された義文は、注文札を店員に渡して食べたいジェラードの種類を言った。
そしてジェラードを貰うと、店を出て空いているベンチを探す。
平日にもかかわらず、ショッピングプラザ内は女性客で混雑している為ベンチはすべて埋まっていた。
行儀悪いと思いながらも、義文は歩きながらジェラードを食べる。
「うまい!」
普通のアイスしか食べた事のない義文は、ジェラードの独特な食感に思わず目から星が出そうに
なった。
「よかったね」
「うん」
ニコニコしながら食べる義文を微笑ましく一成は見る。
と、一成は腕時計を見る。
「わ、やばい。そろそろリハに行かなきゃ」
義文も携帯電話を開いて時計を見ると、三時半を回っていた。
一成のバンドのライブは午後五時半開場で、六時開演になる。
なので四時からライブスタジオでリハーサルが開始される。
後三十分でライブスタジオへ行かなければならない。
「間に合うか?」
「隣の駅だからここから歩いても間に合うよ」
一成は微笑む。
「そう?」
義文はホッとする。
なぜか一成の微笑む顔は人を安心させる。
「せっかくだから義子ちゃんと手つないで歩きたいな」
「はあ!?」
「いや?」
「いやだよ、恥ずかしい」
「別に恥ずかしい事はないんじゃない?男と女なんだし」
義文はぐっと言葉に詰まる。相変わらず一成は美幸と同じように、嫌な所を突いてくる。
「し、仕方ないな…。ただし、硬いとか言うなよ!」
「ぷっ!か、硬いって何が?」
一成は吹き出す。
「何でもいんだよ!」
義文はゲームセンターでクラスメートに言われた事を思い出して、八つ当たりとは分かっているの
だが一成へ声を上げた。
そして義文は渋々右手を出す。一成は笑顔でその手を握って歩き出した。
まるで二人は付き合っている彼氏と彼女のようだ。
客観的に見ればそうなのだが、皮を剥がせば同じ高校のクラスメートで、友達同士の何者でもない。
(寒い、寒すぎるぜ。)
義文は心の中で涙を流す。
本当に、自分が女だったなら舞い上がっているだろうに。
一成の手は剣道をやっているせいか、ごつごつとして大きく硬かった。
自分もこんな風に硬いのだろうか。女の子はどんな風にやわらかいのだろう。
そもそも一成は今まで女の子と付き合った事があるのだろうか?
女の子と付き合うというのはどんなものなのだろう。
ふとそんな興味が沸いてくる。
ショッピングプラザビルを出て、五分ほど駅から反対へ歩くと閑散とした歩道が続く。
「一成は女の子と付き合ったことある?」
義文は一成を見上げる。
「え、何急に?」
「ちょっと気になったから…」
一成は少し狼狽したように義文を見る。
「女の子と付き合った事は無いよ…」
一成の口からは意外な返答が返って来た。
「すっごいモテそうだけど?」
「まあ、告白はされたかな。でも肝心な好きな人とは両想いになった事はなかった」
「……」
ふと悲しげな顔でまっすぐ前を見る一成。
その両想いになれない好きな人は、自分も入っているのだろうか?そうだとしたら本当に報われない恋だ。
どうあっても義文は一成の想いに応えてはあげられないから。
「いつかはその、両想いになれるような相手が見つかるよ…」
「義子ちゃんはそうじゃないの?」
「……」
思わず黙って俯いてしまう義文。一成の悲し気な声が耳に残るが、一成の顔を見ることは出来な
かった。
義文の手を握っている一成の手に力が入る。
今日のライブが終わって、別れを告げればもうこの関係は無くなる。それですべてが片づくのだ。
まさかライブ終了後にそんな事を言われるなんて一成は思ってもみないだろう。
「ライブ終わったら外で待ってていい?」
「楽屋に来ていいよ」
「…いや、外で待ってる」
「そう?じゃあ早くきりあげるから」
一成はやさしく微笑む。
そんな顔に胸が締め付けられる義文。
一成を見ながら心の中でごめん、ごめんと繰り返す。
傷つくのは分かっている。しかし義文が義子だとばれた時の方がもっと傷つくだろう。なので綺麗
な思い出は綺麗なまま終わらせた方がいいのだ。
そしてなんとなくその後の会話がないまま隣駅のライブスタジオへ着いた。
ライブスタジオは駅から近い場所にあるが、細い道の通りにある雑居ビルの地下にあるため大変
分かりにくい。
「今回のハコはここなんだ」
「ライブハウスなんて初めてだ…」
義文と一成はライブスタジオの前で立ち止まる。
すると後ろから一成に男が声をかける。
「ようカズ」
「ああ、おはようケン今日もよろしくな」
「初ライブ頑張ろうぜ」
男に気づいた一成はその男に挨拶をした。
義文が振り返ると、後ろには短い髪の毛をツンツンに逆立てた金髪の男が立っていた。
年は三歳ぐらい上に見える。
綺麗な二重瞼で顔立ちのいいケンと呼ばれる男は、ヴォーカルなのかドラムなのか、楽器が入っているようなバッ
クは持っていない。
ケンは義文の存在に気づく。そしてジーッと義文の顔を見る。
なかなか嫌な感じだ。
「かわいいじゃん。カズの彼女?」
「あ、いや、まだそういうんじゃ…」
なぜか慌てる一成。
まだも何も、この先一成の彼女になる事はないのだが。
「俺ケン。ヴォーカルやってる。名前なんていうの?携帯の番号教えてよ」
「え…」
義文に詰めよるケン。そんなケンに義文は戸惑う。
「ごめん、この子にはそういうのやめてくんないかな…」
すかさず一成が義文を自分の後ろへ隠す。
思わず男らしい、と感嘆してしまいそうだ。
「あー、その子がカズの好きな人ね」
ケンの一言に一成は顔が赤くなる。
ケンは勝手に頷き、勝手にそう解釈をした。
「これからリハだけど開場まで見学する?」
「いや、外で待ってるよ」
一成と義文はそんなやり取りをして、一成はライブスタジオへ、義文は駅通りの繁華街へ分かれて
行った。
今の時間から開場まで約一時間半ある。繁華街へ出るとデパートが撤退された建物がそのまま
リフォームされた、巨大なゲームセンターがあった。一番上の階にはたくさんのカレーショップも
ある。
義文は本屋に行ってCGツールの本を立ち読みして時間を潰そうと思ったが、本屋はやめて
ゲームセンターに行く。
巨大なゲームセンターに入って一通りは回ったものの、これといってやりたいゲームはなかった。
一人だとなんとなく物足りないのだ。
以前なら一人でゲームセンター行っても楽しかったのに。一人だとなんとなくゲームをする気になれなくなってい
る。
義文はぼうっとクレーンゲームの中のぬいぐるみを見る。
吉田と土屋と一成の皆で行った時は凄く楽しかった。
今日も一成と一緒に遊んで楽しかったのは事実で。まさかここまで自分の中に一成が深く入り込んでいるなんて義
文自身気づいていなかった。
義文は携帯電話の時計を見ると、一成と分かれてまだ十分しか過ぎていない事に気づく。もう三十分は過ぎている
のかと思うくらい開場を待っている時間が長く感じられる。
とにかくゲームはやめて本屋で立ち読みしよう、と義文はゲームセンターを出て近くの大型書店に行く。
大型書店は各階ごとに本のジャンルが分かれていて、義文は専門書を扱っている階に行った。
ゲーム製作の専門書のコーナーへ行くと、今シーズンロードショーで話題になっているアニメーション映画インタ
ビュー記事と制作過程の載った雑誌が並んでいた。
義文はそのアニメーション製作会社もハイクオリティーなCG技術を持っていて、気になっていたので手にとって
読んでみる。
軽く読むつもりが面白い内容だった為、すっかり読み更けてしまった。
たかがアニメ、ゲームの方が凄い技術を持っているんだと思っていた節があった義文は、その考えを覆された。と
、そんな事をしていると時間が気になって時計を見ると、すでにライブの開場時間十分前になっていた。
やばい、と義文はすぐさま本屋を出るとライブスタジオへ向かった。
ライブスタジオに着くと義文は唖然とする。
アマチュアバンドを甘く見ていたようで、ライブスタジオの入り口の前は開場十分前には四十人くらいの人だかり
が出来ていた。
一成のバンドは初ライブなのにこんなに人気があるのか?
と義文は驚くが、財布から出したチケットをよく見ると一成のバンドの外にあと三つのバンドが共演する事になっ
ている。いわゆる対バンというやつだ。
どうやらこの三つの中のバンドが人気らしい。
対バンのいい所は、自分達の演奏が好みだったなら、外のバンドのファンを横取り出来るという所だ。
そしてこういう所でファンを増やしていき、ワンマンでライブが出来るようにしていくのだ。
一成は今そのスタート地点にいる。
今日はどんなライブがやるんだろう。
夢への第一歩を歩む一成に自然とわくわくしてくる義文だった。
開場時間になったらしく、前を見るとライブスタジオの入り口付近にいた人だかりが、ぽつりぽつりとライブスタ
ジオの地下へと消えていく。
義文もその中へ入る。
ライブスタジオの中は夏という事も、狭いわりに人口密度も高いので蒸し暑かった。
暗いスタジオ内の中央ステージの上にある楽器を色とりどりの照明達が照らしている。
まだ満員状態ではなかったので、義文は前の方へ移動する。
回りは女の子ばかりで、好きなバンドのメンバーについて語り色めき立っている。
義文にはよく分からない世界だ。
後ろの出入り口からはどんどん人が入ってくる。そしてどんどん蒸し暑くなってきた。
顔の汗でメイクが取れやしないかと冷や冷やしている義文は、開演はまだかと時間を見る。
もうすぐ開演の時間だ。
その瞬間バッとステージの照明が消え、女の子達の歓声が義文の耳をつんざく。
途端に後ろから人が一気に押し寄せて、息も出来ないほど人に潰される。
「ちょっ押すなよ!」
義文は叫ぶが声はたくさんの歓声に虚しくかき消されて。
そして照明がバッと付き、最初に演奏するバンドのメンバーが出てきた。
ドラムは連打し、ヴォーカルがそのリズムにのって挨拶をする。
観客である女の子達はキャーと叫び、手を振り上げてジャンプする。
その度に義文の頭はどつかれて、足元を蹴られてイライラする。
メンバーの挨拶と紹介が終わってやっと演奏に入ると、大音量の音がワッと義文を襲う。
何てうるさいんだ!
と思わず耳を塞ぎたくなるほどに。
女の子達はそれが当たり前のようにメンバーらしき名前を、ステージに向かって叫んでいる。
女の子にちょっとした理想を持っていた義文はまさに千年の恋は冷めた、という感じだ。
こんなアンダーな世界があったとはと、自分の箱入りさを痛感する。
ヴォーカルの中途半端にかん高い歌声とうるさすぎるビート、それに狂喜乱舞する女の子達の姿はカルチャーショ
ックだ。
押されて揉まれて揉みくちゃにされて、人の汗は飛び散り大気は香水と汗の臭いにまみれ、頭は振り上げられる無
数の手によってどつかれる有り様。
これぼどつらいと思った事は過去にあるだろうか?
義文は走馬灯のように過去の辛かった出来事を思い浮かべてみる。が、明らかに今の方が辛かった。
酸素の薄くなった会場内のせいで頭がくらくらしてきた義文は、だんだん意識が遠のいていく。
すると上から水が降ってきた。どうやらヴォーカルがぺットボトルに入ったミネラルウォーターを観客達へ撒いた
らしい。おかげで意識ははっきりしたのだが、一瞬何が起こったのか分からなかった義文は目をぱちくりする。
次の瞬間、もうこんな所に二度と来るか!と怒り爆発した。
それでも一成自身に罪はないし、一成の演奏を聞かなければならないので仕方ない。
一成達が出てくるまでライブスタジオの出入り口で待っていよう。
義文は後ろにある出入り口へ行こうと体を回す。が、人の肉に押し潰されているために身動きがとれない。
「あーもー!超うぜー!」
叫んではみるが周りの人の耳には聞こえていない。
すると一通りの演奏が終わったのか、音が止んでヴォーカルが次のバンドの紹介をする。
後輩のバンドです、よろしくと。
その名前は一成のバンドの名前だった。
義文は身動きするのを止めてステージを見る。
周りの女の子達はまだ演奏が聞きたい、と不満そうにしている。
そんなものはおかまいなしに、ステージの照明は消えてしばらく場内は真っ暗になる。
そして照明が徐々にフェイドインしていく。
照明に照らされたステージには一成のバンドのメンバーがスタンバイしていた。
メンバー達は赤、青、黄、オレンジなどのカラフルな髪の毛の色で、ステージを見て首をかしげる義文。
(一成が、いない…。)
バンド名勘違いして憶えていたのかな、とよくよく見てみる。
皆服装は高そうではあるが、パーカーやTシャツにジーンズと、比較的ラフな格好だ。
ロックと聞くとどうしても革ジャケットにリーゼントのお兄さん達を思い描いてしまう。
一成はギターなのでギターを見る。
そこには真っ赤な髪の毛をカッコ良くセットしたカッコ良い男が一人。
(え!?)
義文は目を疑った。
そう、その真っ赤な髪の男はなんとなく見覚えがあったのだ。
なんとなく普段の面影があるような…。
そう、義文の記憶と目が確かならばその男は、一成なのだ。
(まじかよ!!)
思わずツッコミを入れてしまいたくたる。一成は真っ赤な髪の毛に、僅かにメイクをしていて、パッと見て気づか
なかった。
前のバンドもカルチャーショックだったが、一成の今の姿もかなりカルチャーショックだ。
義文の中の一成は、真面目で少し大人しくて大人っぽい、剣道さわやか少年だったから。
義文のいる場所はステージに近いのでメンバーの顔が良く見える。唖然とする義文は穴が空くほど一成を食い入る
ように見る。
眉毛を描いているのは非常に気になる所だが、カッコ良いのには変わりはない。
そして一成とヴォーカルのケンを始め、ベースとドラムのルックスが全体的にレベルが高せいか、周りの女の子達
はざわつく。
なぜか少し鼻が高くなる義文。
一成は義文に気づくとニコっと微笑んだ。
一瞬ドキッとするが、その瞬間周りの女の子達から黄色い声があがる。そしてケンがマイクを持ってメンバーを紹
介して喋る。
「えーっと、今日は俺達が結成してから初のライブです。俺以外のメンバーは緊張してっかもしれないけど、皆協
力して盛り上げてください!」
ケンの挨拶が終わるとイエーイ、とノリの良い声が上がる。
歓声がほど良く収まった所で前奏が流れ始めた。
前に借りたデモテープとは違う曲だ。
近くで聞くとドラムの力強さ、ギターとベースのビートが胸にどしんどしんと響いてくる。
そしてヴォーカルの声がハーモニーして一つの曲となる。リズミカルで少しハードな曲だけどポップで。
単調ではなく、ちゃんと盛り上がりのあるサビなので義文の好きな感じの曲だ。
聞きやすくて入りやすい曲なのが受けたのか、周りの女の子達も頭をどつかれるぼどではないが十分ノッている。
インディーズやアマチュアバンドのライブの観客は正直で、観客をのらしてなんぼでもある厳しい世界なのだ。
そんな事は知らない義文だが自然と聞き惚れている。
楽しそうに激しいビートを叩き出す一成は、メイクが落ちそうなほど汗をたくさんかいている。
それでもそんな汗臭さは微塵も感じなく、むしろキラキラ
と輝いてカッコ良いのに一層磨きがかかっていた。
ケンが一成に肩を組んで歌う。一成も楽しそうに笑いながら弾いている。
見ている方も思わず楽しくなってくる程に。
とてもキラキラ輝いて、楽しそうで、それがまたカッコ良い。
顔の造形とかそういうレベルではなく、生き方や人間自身がカッコ良いのだ。
自分の好きな道を一歩一歩着実に歩んでいる一成がとても羨ましく思う。
義文自身も一歩一歩自分の進みたい道へ進んでいるのだが、一成とは明らかにその速度が違った。
一成を見て、俺も頑張らなきゃ、と胸に誓う義文だった。
気づくと三曲歌い終わって次がラストだ。
ラストの曲はどこかで聞いたことあるような、しんみりとした曲。
思い出した、一成の作詞作曲した曲だ。
義文はハッとしてステージを見る。
ステージの中央には一成がマイクスタンドを持って立っていた。
ケンは一成が元々いた場所に、自分の物らしきギターを肩に掛けて弾いている。
場内はしんとして、静かに一成の歌を聞いている。そう、あの自分の恋心を切々と綴ったせつないバラードを。
いい歌なのだが聞いていると何だか恥ずかしいし、居心地が悪い。しかし周りを見ると女の子達はまるで同じ体験
をした事があるかのように真剣に聞いていた。
でも一成が歌うととても居心地が悪いのだ。
俺はこんなに君を思っているんだ、だから振り向いてくれ、そんなニュアンスだから。
しかしどう思われようとも今日までの関係なので仕方がない。
一成が歌い終わるとたちまちワッと場内は大きな歓声に包まれた。どうやら女の子達には大好評のようだ。
居心地が悪い歌ではあるけど、大好評なので義文はホッと安心した。
そして場内が暗くなり、次のバンドの準備が始まる。
目当ての一成のバンドは見たので、義文は人の肉をかき分けながらライブスタジオを出る。
同じように目当てのバンドを見終わった女の子達も出ている。その間一成のバンドが話題沸騰
していた。
ヴォーカルがカッコ良かったとか、ドラムが上手い等など。
今日の初ライブでたくさんのファンを獲得出来たようだ。
そしてケンと人気を二分したのが一成で。
意外にも最初の笑顔が好印象だったらしい。そのとどめがラストのバラード。
顔が良い上にヴォーカル顔負けの歌唱力。歌詞も曲も良く、さらに女の子も共感出来るという、カリスマ性という
か才能というのか。
赤い髪のギターの人いいよね、とライブスタジオから出てくる人の口々からそんな言葉が出てくる。
そんな風景を見ているとなんだか暖かい気持ちになってくる。
とにかく成功してよかったと。
外に出ると辺りは薄暗く、まだ夜にはなっていなかった。
義文は携帯電話の時計を見ると、時刻はまだ六時半だった。
ライブスタジオのビルの周りには友達と喋っているだけなのか、はたまたバンドの出待ちをしているのか女の子達
がたくさんたむろっている。
義文も一成と話をつけるため、出てくるのを待つ。
次の演奏を控えているバンドはあと二つだったのであと一時間はかかるだろう。
ライブで体力を使ったせいか、精神的に疲れたのか、ビルの壁にもたれた義文はどっと体がだるくなった。
とりあえず小腹がすいたので何か食べたい。
義文は待ち時間を利用して、何かご飯を食べようと繁華街へ出る。
近くのファーストフード店に入ってハンバーガーを頼み、ぼうっとしながら食べる義文。
なんだかさっきの出来事が夢か幻かのようだった。
人に揉みくちゃにされて、大音量の音楽を聞いて、ジャンプして。一成の歌も聞いた。
時間が経つとなんだか体が浮ついて現実の実感がない。
その前に一成と高そうなレストランで食事をして、ゲームセンターにも行ったのだ。
今までの時間経過がとても長くて、まるで一週間位の時を過ごしたかのようだ。
一成と話すようになったここ一ヶ月でとても濃い学生生活を送っている気がする。
でも、それも今日で終わる。そしていつもの生活に戻るのだ。
寂しいけど仕方がない。このままだと両方が傷付くだけだから。
いつもどうりゲーム三昧の日々に、高校三年生になったら情報処理科に進んで受験戦争突入。
それから工科大学に行くのだ。
義文は三十分ほど暇を潰してから再びライブスタジオへ戻る。
その頃には空は暗くなっていて、ライブスタジオのビルは相変わらず出待ちの女の子達で混雑して
いた。
それに加えて他のアマチュアバンドなのか、出待ちをしている女の子達に話しかけて、自分のバンドの売り込みを
している男達がちらほら。
義文は関わり合わないようにビルとビルの間に行き、そこで待つ事にする。
するとそんな義文に気づいたのか、男の一人が目ざとくも義文の元にやって来て話しかける。
「ちょっといいかな」
「はあ…」
「これ、俺がやってるバンドなんだけど、良かったら今度見に来てよ」
「はあ…」
男は義文に自分のバンドの宣伝ビラを渡す。義文はそっけない返事をして一応ビラを受けとる。
「もしかして出待ちしてる?俺さー、今日のライブのバンドのメンバー知ってる奴いるから口利きしてもいいよ」
男は義文をジーッ見ると、そんな事を得意気に言う。
「知り合いを待ってるだけだからいいです」
「本当にー?あ、じゃあ俺達のメンバーここにいるから紹介するよ」
「は?いいよ…」
義文は訳の分からない男の申し出に断るが、それも虚しく男は出待ちの女の子達と話をしている仲間を呼ぶ。
「なになに?」
「どうしたよー」
「いや、この子にメンバー紹介しようと思ってさー」
男は仲間に義文を見せる。
「おっすげーかわいいじゃん!」
「ナーイス」
「だろだろ?」
義文はいつの間にか男達に囲まれるようになる。
「あのー…」
「なになに?」
「あ、これから俺等と飲み行かない?」
「友達待たなきゃいけないんでいいです」
ゲームセンターでの中学校のナンパ事件を思い出してイライラする義文。
「友達って男ー?そんな奴ほっといて行こうよ」
「そうそう、俺等の方がいい男だぜ?」
「ぎゃはは」
もう放っておこう。
義文は男達の間をすり抜けてライブスタジオの入り口に行こうとした。
すると、
「ちょっと待ってよー。それはないんじゃない?」
男の一人が義文の腕を掴む。
「なんなんですか!放してくださいよっ!」義文は声を上げて掴まれた腕を払おうと振る。が、男の力が強くて振
り払えない。
「…!」
義文は何とか逃げようともがくが、逆に取り押さえられてしまった。
「おい、裏に連れ込め」
男の一人が指揮すると、二人の男達は義文を抱きかかえるようにビルとビルの間の路地裏に連れ込む。
そして義文をコンクリートの地面へ押し倒す。
背中がじんじんと痛む。路地裏は男の一人が見張りをしているせいか、人気はない。
光もあまり届かないために薄暗い。
「おい、次ちゃんと俺に回せよ」
「わかってるって。こういうのは後の方が美味しいんだぜ」
「まあな」
男の一人は義文の両手を押さえ、もう一人は足を開らかせる。
少々頭の弱い所がある義文でもこの状況はわかる。
「やめろ!!」
必死でもがく。
もしここで服を脱がされて男だとばれたら半殺しでは済まないだろう。
こんな事なら普段から体を鍛えていれば良かった!義文は後悔するが、先に立たずで。
「いやだ!いやだっ!!誰かーー!!」
とにかく誰でもいいから助けてくれと義文は願う。
そして脳裏には一成の姿が浮かんだ。
一成…。
今日で関係を終わらせるのに調子がいいとは思うが、今だけは本当にここに来て欲しいと思った。
義文の頬に涙が伝う。
「俺こういうの超たまんねーんだけど」
「何お前、S入ってんじゃん?でも俺も好きかも」
男達はせせら笑う。
服に手がかかった時、義文はもうだめだと絶望する。
と、ドサッと鈍い音が前から聞こえてきた。
「…?」
義文と、義文を押さえている男二人もどうしたのかと、音がした方へ向く。
その瞬間今度は義文の足を開いている男が何者かに殴られて、鈍い音を立てて倒れる。
殴った人は逆光でよく見えなかったが、背格好からして男だとわかる。
逆光の男は見事と言える俊敏な足さばきで、残った義文の腕を押さえている男に回し蹴りを食らわせる。
逆光の男の足の甲が顎にヒットしたようで、男は声も無く鈍い音を立てて倒れこんだ。
「大丈夫か!?何もされてない?」
逆光の男は義文の前にしゃがむ。
その声は…。
よく聞き覚えのある声にわずかに震える。
「かず…なり?」
義文は起き上がるとその男の顔をまじまじと見つめる。
わずかな街の光が顔の輪郭を照らし、ようやくそれが一成だと分かった。
「実はカラテも少々やってた」
髪の毛はまだ赤いままで、メイクも落としていないが、いつもの照れたような微笑みをする一成。
「ど…してわかった?」
「出待ちしてる女の子が教えてくれたんだ。俺もう出れるから帰ろう。何もなくて良かったよ。待たせて本当にご
めん」
一成は本当に心配そうに義文の頬へ手を添える。
今までに無いとても怖い経験をして気が高ぶっていたのか、一成の顔を見て安心したのか義文はわけの分からない
怒りが込み上げてきた。
「お前といるとロクな事がない!ゲーセンではナンパされるしっ、ライブでは目茶苦茶にされるしっ、待ってれば
変な男たちにやられそうになるし!!」
義文は添えられた一成の手をパンッと音を立てて払う。
「ごめん…」
「ごめんで済んだら警察はいらない!」
そしてまだ震えている体を叱咤して立ち上がる。
「悪いけどこの関係はもうやめさせてもらう。女は他で探してくれ」
「…え…」
「じゃあな」
義文はそう言ってしゃがんでいる一成の横を通り、ライブスタジオの出入り口の方へ行く。
「義子ちゃん!」
一成の切羽詰まった声が背中に響く。しかし後ろは振り返れない。
義文は走って駅へ向かい、急いで電車に乗って自宅へ帰った。
とにかく一刻も早く安全な家に戻りたかったのだ。
今日は一成と遊んで楽しかったが、それを上回る程嫌な事がありすぎた。
それを一成にぶつけるのは間違っている事だし、怒りに任せて関係を終わらせる事を言ったのは良くない。
それでも女装をする原因は一成であり、女装して今日のような事が起こったのだ。
怒らずにはいられない。
自宅に着いた義文は急いで誰もいない真っ暗な家に入る。
そして急いで階段を駆け上がり、自分の部屋に入ってベッドのふとんに潜る。
「ん…痛え…」
うずくまる義文は頭に付けたウィッグがひっぱらさる痛さに顔を歪ませた。
ウィッグを取ってパジャマに着がえてさっさと寝よう、と思った時姉の言葉が脳裏に浮かぶ。
メイクは必ず落としなさい、さもないと恐ろしい事が起こるわよ、と。
とりあえずメイクを落としてからにしよう。
義文はベッドから体を起こして部屋を出ようとした時、バッグの中から携帯電話の着信メロディーが鳴った。
着信履歴を見ると一成で、電話を掛けてくる理由は想像出来て顔をしかめるが、とりあえず義文として出る。
「もしもし」
『俺、一成だけど…』
「どうした?」
『お前にどうてしも頼みたい事があるんだ…』
義子の事かな、と予想する。
『もう一度、もう一度だけ義子ちゃんと会いたい。』
(やっぱりか…。)
義文はうなだれる。今更思っても仕方のない事なのだが。
「そう言われても」
『頼む!どうしてもまた話したいんだ!最後だけ…』
一成の頼みを断ろうと思ったのだが、あまりの切羽詰まった様子に多少の同情心が芽生える義文。
義文もそこまで切望している一成を無下に断るほど鬼ではない。
「仕方ないな…。じゃあそう言うよ。どこに行けばいい?」
『今から家に行くから、十五分くらいでそっちに着くと思う』
「わかった、じゃあ俺は出るから俺の部屋使って」
『ありがとう』
電話の奥からは安心してはにかんだような声が聞こえた。
強引だし、結構勝手な所はあるが、なぜか憎めない所がある。
そんな所がずるいとも思う。
やれやれ、と義文は電話を切った後脱ぎ散らかした服を片付ける。
本当はメイクを落としてギャル服を着がえて、早く寝たかったのだが。これから十五分後に一成が義子目当てにや
ってくるから仕方がない。
脱ぎ散らかしている服を洗濯籠に入れて、部屋に戻って窓を開けて今度は趣味の本で乱雑になっている机の上を片
付ける。
するとインターホンが鳴った。一成が来たのだろう。
漬物石のように重い気持ちをなんとか必死で持ち上げながら、ゆっくりと時間をかけて階段を下りる。
一成は今更何の話が最後にあるのだろうか?電話で用件を聞くだけで済ませておけばよかったのだと、階段を下り
ている途中に思ったが後の祭りだ。
まだ心の準備はできていないのだが、あまり待たせるわけにもいかないので、義文は玄関のドアを開ける。
ドアと開けるとその先には、髪の毛のセットやメイクは取れているものの、まだ赤い髪の色のままの一成が立って
いた。
多分急いで来たのだろう、一成は息を切らしていた。額からこぼれる汗は外灯と晴れた月明かりできらりと光る。
路地裏で助けられた時も思ったのだが、普段真っ黒な髪の毛が真っ赤だと違和感がありすぎて一成本人だと感じに
くい。変に落ち着かなくなる。
「入って…」
「お邪魔します…」
義文が促すと一成は素直に従う。
そして二人は階段を上がり義文の部屋に入る。
話をする前に何か飲み物を持ってきた方がいいかと、義文は一成へ向く。
「何か飲み物……」
一成へ振り向いた瞬間、義文は強い力で抱きすくめられた。
「…ちょっ」
「……っ」
義文はもがくが、ぎゅっと抱き締められる力が一層強くなる。
「放せ…っ」
力強く抱き締められて息苦しいが必死で叫ぶ。
「好きなんだ!」
ああ、やっぱり電話で断っておけば良かった…。
義文は後悔と罪悪感と脱力感で頭がくらくらしてきた。
「俺の事嫌い?」
一成は悲しみに満ちた顔で言ってくる。
そんな顔で言われるとこちらとしても言いにくい。
「嫌いじゃないけど…」
義文は目を逸らして言葉を濁す。
「やっぱり俺じゃだめ?」
一成は義文を見据える。
男としては本当に申し分ないし、友達としても大好きだし、他の女の子からは恨まれそうだが、義文も男なのだ。
「だめ…」
男同士で付き合うなんてノーマルな義文にとっては考えられない。義文はそうきっぱりと断る。
部屋は一瞬しん、と静まる。
義文は黙る一成を不安げに見上げるとぎょっとする。
なぜなら、一成がぽろぽろと涙を流しているからだ。
「なっ何も泣く事ないだろ!?他に良い女の子ならたくさんいるし!一成ならよりどりみどりだろ?」
あの一成が泣くなんて!
意外な一面を見てしまった義文はうろたえるが、なんとか取り繕う。
一成の想いに応えてあげられないのはざんねんだが。
「…本気で好きだったんだ…」
一成は俯き、義文の肩に震える両手を置く。「一成…」
どうして数回しか会っていない義子をそこまで本気になれるのかが義文には分からなかったが、一成の頬を伝う涙
が冷たそうで拭おうと手を伸ばす。
頬へもうすぐ触れそうになった時、その手がふいに掴まれた。
「…!」
俯いているため一成の表情はよく見えない。
そしてもう片方の手によって再び義文は一成に力強く抱き締められる。
そして勢い唇を奪われた。
「っんぐ!?んっ」
体を締めつけられ、さらに唇も塞がれた義文はも必死でがくが、力は一成の方が当然強いのであがらえない。
一成は荒々しく義文の唇をむさぼる。
その荒々しさは明らかにこの前のファーストキスと違う。
唇と唇をそっと口付けるのがキスだと思っていた義文にとって、ディープキスを男にされる事は人生最大のショッ
クだ。
ファーストキスもショックだったが事故だと思って、次に生かせばまだ救われる。
しかし今はちがう。角度を何度も何度も変えて唇を吸われ、舌まで入れられて、絡められて。
「んぅーっ!」
嫌だ、嫌だ、と義文は暴れるが、一成に吸収されてしまう。
一成はやめようともしない。
唇を合わせる湿っぽい音が耳について、それがなおさらいやらしく思える。
一成の舌は義文の口腔を蹂躙する。
義文はショックとキス激しさで頭が真っ白で、男同士で気持ち悪いと思う余裕も無い。
そして体は正直なもので、意識とは裏腹に反応を示してしまう。
その瞬間忘れていた自分の今の姿を思い出した。
女装をしているという事を。
一成は義文を女だと思ってこうしているのだ。
やばい!
危険信号が頭の中で点滅する。
義文は角度を変える僅かな隙間から顔を横に背けてキスを逃れる。
「やめろよ!」
体は少しよろよろとしてしまうが、自由になった口で抵抗した。
が、それも虚しく却下されて、一成は義文を押し倒した。
ゴン、とフローリングの床に頭を打って顔を歪める義文。しかし一成がのしかかって来たために痛いなどと言って
いる余裕はない。
この体勢は!
「冗談…やめてくんない?」
部屋の中は窓を開けているにもかかわらず蒸し暑いが、義文の体は頭の天辺からつま先まで急速に冷たくなってい
った。
「冗談でこんな事はやらない」
一成は本当に冗談を言っている様子はなく、至って本気で真剣な顔をして義文を見据えている。
こんな状況でキスまでして、男が女を冗談で押し倒すわけがない。
しかし義文はあくまで女装しているだけであって男ではない。
冗談だと思いたいのだ。
「…やめ…ろ…」
真剣に、まっすぐな瞳で見られている義文は一成のその瞳から目が反らせない。声も掠れる。
それでもとにかく逃げなければならない。
義文は後ずさりする。が、両手を掴まれて床に貼りつけられた。
「ごめん、やめる気無いから…」
「…!ふざけんなよっそれじゃさっきの男達と一緒じゃねーか!」
「同じじゃない!あんな体だけが目当ての奴等と一緒にしないでくれ」
「こっちからしたら同じなんだよ!」
結局男は女の体があればそれでいいのか?
一成にそんな事をされると余計に悲しくなる。
義文は悔しくて悲しくて顔を歪ませる。
「君が欲しいくらい好きなんだ!」
一成も訴えるように叫ぶ。掴んでいる手に力が入る。
そして一成は義文の首筋に頭をうずめた。
「やめろー!」
義文は必死でもがいて暴れるが、体は一成にのしかかられているため、足がばたばた動くだけだ。
一成はやさしく義文の首筋を舌でなぞり、吸いつく。
そしつ耳をほおばって舌で輪郭をなぞり、耳朶を甘噛みする。
一成が両方の耳を十分にしゃぶると、義文はもう体に力が入らない状態になっていた。
「…や…」
なんとか自由のきく口だけでも抵抗してみるが、それも一成の唇によってかき消されてしまう。
なぜ自分がこんな事をされなければならないのだろう。
クラスメートで、友達で、男である一成に。
義文は自然と涙が込み上げてきて、瞳から流れ落ちる。
それでも一成は手を止めようとはしない。
むしろその手は義文の着ているパーカーのファスナーへ行っている。
とうとう服を脱ぐところまで来てしまった。
少しぼうっとしていた義文の頭が覚める。
(ここから先はやばい!)
義文はファスナーに手を掛けている一成の右手を空いた手で掴む。
一成はクスと笑って逆にその手を掴み直して再び床に貼りつける。そして一成は顔を義文の胸にうずめると、ファ
スナーを噛んで下ろそうとする。
あくまで一つ上を行く一成。
(負けた…)
「…ごめん…本当に、やめて…。ご、めん…俺、本当は、義文なんだ…ごめ…ん」
義文は横を向いてぼろぼろと涙を流す。
とうとう告白してしまった。決して伝える事のない事実を。
もうおしまいだ。すべてが終わった。
それでも、ない胸にパッド入りのブラジャーを付けているまぬけな姿を見られるよりはましだ。
一成はどんな反応するだろう。
冗談だろう?とせせら笑うか、それとも激昴して殴りかかるか。
どっちにしろもう覚悟は出来た。
義文はぎゅっと目を閉じる。
しかし予測していた事態は起きず、義文の耳に入って来た言葉は、
「知ってたよ」

★すすむ★

★もどる★